日陰に咲く花
想い出は鮮やかに残る。
昔から私は引っ込み思案で、人の輪に入る事が苦手だった。だから小学校では男子にからかわれてきたし、女子とは深く関わることが出来なかった。そんな私にも中学に入って一時通っていた塾で、親友と呼べる子に出会った。彼女とは中学は離れていたけれど、今でも月に一回は必ず会う。彼女は本当に明るくて優しい。でもそれでいて物怖じせずに人に意見が言える。そして私が中々意見を言えずにいると辛抱よく待ってくれる。彼女に出会えたから今の私が在ると言っても過言じゃないくらいだ。
「さん終わった?」
残暑が残る九月。中学三年の私たちにとって、最後となる体育祭へ向けてそれぞれが頑張っている最中だ。私は元々裁縫や手先を扱うことが好きで、そのため応援団の衣装や応援団旗の作成をしている。これが最後になるんだ、そう思うと体育の苦手な私でも少し寂しい気持ちになる。
「あ、もうちょっとです」
話しかけてきた人は郭英士君だった。彼は学校内でとても人気がある人らしい。女子がかっこいいー!と言っていたのを覚えているけれど、男女の関係に疎い私にはあまりピンとこなく、そんな話には入れずにいた。
「そう」
教室に残っているのは私と郭君だけだ。衣裳役の人たちは塾等で先に帰ってしまった。郭君は応援団長ということもあって、いつも遅くまで残っていた。
「大変だね。こんなに一人でやってるなんて」
「大丈夫です」
「でも皆さんが断らないから体よく押しつけてるんだよ?」
郭君は隣の席に座り、机に肘をついてその手に顔を乗せる。その視線は今とりかかっている応援団旗に向いている。
「なんとなくそうは思ってたから」
私は郭君の顔に目は向けず作業を進める。この人はなんでそんな事をいちいち言うのだろう、ふとそう思ったけれど、考えても答えは出ないから思考を切り替える。
「嫌じゃないの?」
「こういうの好きだから」
「さんがしてくれた衣裳とか綺麗だよね。去年の文化祭の時から思ってた」
「本当?ありがとう」
その時私は初めて顔をあげた。初めて近くで見る郭君の顔は端正で、女子たちが騒いでいた気持ちが少しわかったような気がした。そして初めて近くで見る男子の顔に心臓が早くなるのを感じた。
「こっちこそ遅くまでありがとう」
郭君はそう言って初めて表情を緩めた。私もそれにつられて少し頬が緩むのを感じた。その後しばらく郭君は口を開く事もなく、鞄の中からipodを取り出して音楽を聞いているようだった。
「今日一緒に帰ろうよ。もう遅いし」
30分ほど経った後、郭君は片方のイヤホンを外して口を開いた。外れた方のイヤホンから洋楽らしい単語が聞こえてくる。誰かを待つために教室にいるのかな、と思っていた私は少し驚きながら作業の手を一旦止めた。
「あ、今やってるとこまでやってもいいかな?」
「構わないよ」
ありがとう、とだけ返事をしてなるべく早く、でも丁寧を心がけて手を動かす。時間を刻む秒針の音がやけに耳に響いた。10分程してやっと取り掛かっていたところが終わった。
「終わったみたいだね」
それを見ていた郭君が先に口を開く。私はうん、と返事をして裁縫道具を片付ける。郭君はその間に椅子を元に戻して鞄を肩にかける。私も片づけを終え、鞄を手に取り立ち上がった。
「お疲れ様」
「ありがとう。遅くなっちゃってごめんね」
「気にしないで。俺が待つって言ったんだし」
じゃあ、帰ろうっか。郭君はそう言って一歩先を歩きだす。男子と並んで歩くなんて今まで経験のない私は、どの辺りを歩けばいいのか、と考えながら歩く。少し間が空けば、郭君が立ち止まって振り返る。とりあえず私は郭君よりもほんの少し後ろを歩いた。
校舎を出ると、生温かい風が頬に当たる。まだ辺りは明るいけれど、時間は既に18時を過ぎていた。
「もうすぐだね、体育祭」
「そうだね。郭君、応援団長でしたよね?」
「うん。あんなのしたくなかったんだけどね」
うちの学校では、応援団長は推薦でする事になっている。各々が紙に推薦者の名前を書いて投票して、集計後それが発表される。もちろんしたい人は自分の名前を書くことも出来るけれど、圧倒的な数で白組は郭君に決まった。
「でも最後の体育祭だしいい想い出になるよ」
「そうだけどね。やっぱり面倒臭いよ」
「私も衣裳とか頑張るから郭君も頑張って下さい」
「他人事でしょ」
郭君はため息を零しながら苦笑した。私はそんな事ないです!と返す。
「きっと郭君の団長かっこいいです」
「じゃあさんもかっこいい衣装と団旗頑張ってね」
郭君はそう言って柔らかく笑った。頑張ります!私はそう返事を返す。その後駅に着くまで、色んな話をした。サッカーをしている事、進路の事、好きな番組の話(と言っても、郭君はサッカーの練習がある為あまりテレビは見ないらしい)、好きな食べ物、他愛のない話をした。なんとなくの印象で、話しにくい人だと思っていたけれどそんな事はなかった。物腰も柔らかで、人の話にちゃんと耳を傾けてくれる。普段人と話すのが苦手な私でも話が出来た。
「駅着いたね。さんどこで降りるの?」
「私桜木町方面です」
「そ、じゃあ行こうか」
郭君も一緒の方面だったのか、そのまま駅のホームまで一緒に行く。電光掲示板は18:47分に電車がある事を知らせていた。
電車を待っている間はひたすらサッカーの話を聞いていた。サッカーの話をする郭君は、年相応の男の子だった。大人びている雰囲気の彼なのに、その話の時だけは目をキラキラと輝かせている。そんな風になにかを話せるってすごいな、そんな風に思った。
楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、電車がホームに到着するというアナウンスが流れた。
「じゃあ、また明日ね」
一緒に乗ると思っていた郭君がそう言う。電車は速度を落としてホームに止まった。
「女の子の一人歩きは危ないでしょ。ここまでしか送れないけど気を付けてね」
また明日、そう付け加えると郭君は片手を挙げて背を向けた。私がありがとー!と返事を返すと、郭君はもう一度手を挙げて少しだけ左右にひらひら、と振った。そんな彼の優しさに少しだけ、本当に少し、人を好きになる気持ちが分かった気がした。
あの日々は今でも強く心に焼き付いている。あの頃の思い出話になるといつも私の心には郭君がいた。